かつて、私たちの仕事は
ぽんこつ屋と呼ばれていました
日本経済が飛躍的に伸びたのは、
昭和30年代~40年代(1955年~1975年)の20年間です。
第二次世界大戦の復興からわずか20年あまりで、
世界第二位の国民総生産を実現し、
この発展ぶりは「東洋の奇跡」とまで言われたほどです。
創業者の石井正勇が『ぽんこつ屋』として
石井自動車解体を開設したのは、
この高度経済成長期のまっただ中、
昭和39年(1964年)のことです。
創業のきっかけは新聞の
連載小説から
これに先立つ昭和34年から翌年まで、
読売新聞に阿川弘之による『ぽんこつ』という
小説が連載されていました。
東京の下町でぽんこつ屋に勤める車好きの青年が、
山の手に住む医者のお嬢さんの女子大生と
知り合ってから、やがて独立、結婚するまでを
描いたもので、当時の世相をからめた恋愛小説です。
創業者の父親、石井義幸はなぜかこの小説に
非常に興味をもったらしく、
正勇に「ぽんこつ屋をはじめたらどうか?」と
勧めた事が発端となったものです。
捨ててしまうのは
もったいない
という考えは、ごく当たり前の時代のことで、
引き抜いた釘からお菓子を入れた空き缶
包装紙にいたるまで、大事に取っておいたものです。
古くなったり、事故などで廃車になった自動車を引き取り、
使えそうな部品は修理用や中古パーツとして再利用し、
車体は再生用の鉄くずとして販売しました。
やがて大量生産・大量消費の時代になり、
自動車の生産台数も飛躍的に増えた昭和49年
社名をイシイカー工業有限会社に変更しました。
大量生産・大量消費は同時に
大量廃棄の時代をもたらしました
修理したり再生するより
新しいものに買い換えた方が安いとばかりに、
ありとあらゆるものが捨てられるようになりました。
人気のない山奥から、河原、畑や田んぼにいたるまで
あちこちに自動車、テレビや冷蔵庫、生ごみなどが
捨てられるようになったのです。
もったいないという心が
次第に希薄になっていったばかりか、
自分だけよければというエゴの心に
とらわれてしまった結果です。
大量生産・大量消費・大量廃棄のツケが今になって
環境破壊や地球温暖化という問題となって、私たちの未来に暗い影を落とすようになりました。
環境破壊や地球温暖化の現われではないかというニュースが、毎日のように世界中から伝えられます。
普段の私たちの生活にも確実に忍び寄っていることを今では誰もが実感し始めているようです。
私たちの会社も創業以来、いろいろな苦楽を経てきたとは言え、結果的にはこのような社会の流れを享受してきたと言えます。
社会に反するようなことはありませんでしたが、今振り返ると、もっと積極的に環境問題に取り組むこともできたのではないかという思いも残っています。
工場移転を機に平成18年5月、社名を株式会社エコアールと変更し、代表に石井浩道が就任しました。
エコはEcology(環境)、アールはRecycle、Reduce、Reuseなどの頭文字Rを表します。
ぽんこつ屋として出発して以来、大切にしてきたもったいないの精神こそ、環境破壊という、有史以来かつてない地球環境の危機を乗り越えるためのキーワードと考え、社会に貢献できる環境産業として新たな出発をしようという思いから、eco-Rとしました。
私たちは豊かな生活を求めるばかりでなく、私たちの子供である次世代の未来のためにも、過去の誤りを正す時が来ていると考えます。
─取り返しがつかなくなる前に、今すぐひとりひとりができることから。
1964年に当社が起業してから、半世紀が過ぎました。
振り返ればこの年東京オリンピック が開催され、日本はモータリゼーションの夜明けを迎えました。
初めて私たちが手がけた車は、観音開きのサイドドアが車体構造上の特徴である初代クラウン。
1955年に登場したアメリカ車を彷彿とさせる車で、フロントグリルを飾るエンブレムの王冠は、使用済自動車が実は宝の山であることを象徴しているかのようでした。
昔から農業社会には「ごみ」という観念はありませんでした。
出荷できない規格外の農産物は家畜の飼料になり、その家畜の排池物や調理屑は堆肥化して、すべてを自然に還します。
こうして土を肥やし、再び畑に実る作物は人の命の糧、労働力の源になりました。
社会と自然界の間に秩序正しい循環が繰り返されてきたのです。
自動車解体業を立ち上げたとき、農業社会に育った私たちには、リサイクルやリユース、リデュースはごく当然のことでした。
大量生産・大量消費が価値であった時代、ともすれば再利用や中古品が軽視される風潮の中でも、車は資源の塊だという信念が揺らぐことはありませんでした。
今、私たちが提案したいのは工業社会の農業化です。
リサイクル型社会、循環型社会の実現は急務だと言われています。
しかし私たちは半世紀も前から自動車解体を通じてエコロジーに貢献してきました。
おおよそ、この世に使命を終えて不要となるものは存在しない・・・これが創業以来の哲学であり美学です。
廃タイヤはおろかボルト1本でさえ、再び新たな資源になりうると、きめ細かく循環処方を施しています。
その根底にあるのは農業を支えていた命の循環の法則です。
無機質を対象にする工業社会においても、一切を無駄にしない農業精神を継承したい。
それがクラウンとの出会いの日に誓った私たちの思いです。
逆転発想と循環の美学
初代クラウンに込められた私たちの思い