観見二眼

みなさんいかがお過ごしかしら(。´・ω・)? って、いきなりの見出しに思わず笑ったでしょw 
‥‥‥そうでもなさそうでしたので本題に。。

パソコンのキーボードで「みる」を変換すると次の「みる」が出て来ます。
観る、視る、見る、診る、看る。それぞれの漢字の意味が違う事はみなさんおわかりの通りです。しかし、宮本武蔵の五輪の書に出てくる一節に、こんなフレーズがあるのはご存知でしょうか?

「眼の付け様は、大きに広く付るなり。観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり。」

「観」は表面上に見える現象などではなく、その奥に潜むものを観るとして、相手の心の動きなどを感じる、心を見るのではなく聞く、今起こっていることのみを見るのではなく、その背景を考えなさいと言った事なんだそうです。


撮影 大橋カメラマン

それに比べ「見」は表面上に表れた動き、相手の動作などを見る時に使われます。そして、「見」の目をよわくして、「観」の目を強くする必要があると武蔵は言っております。現代社会に生きるワタクシたちは、目の前に現れた動きや現象のみに目を奪われて、その奥に隠れている「もの」や「法則性」を見る/理解する力が弱まっている傾向にあるのです。

例えばですが、あいさつをしたのに返事もしてくれないと嘆く/怒るよりも、なぜ返事をしてくれなかった理由/裏側を考える必要があるのです。もしかしたら身内に不幸があったかもしれません、もしかしたら体調がすぐれないかも知れません、もしかしたら前日自分がその人に、嫌なことを言ってしまったかもしれません。

眼前に広がる現象面だけに目を奪われてはいけない。これらの背景に何があるのか、「見」の目よわく、「観」の目を強くするとは兵法の極意の一つとして書かれたものですが、それに留まらず現代の世に生きる我々も「観見二つの目付」が必要だと思います。

さぁ、今週もハリキッテ行きましょう~\(^o^)/

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